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ジョーイゾリナの証

(Japanese Translation by Dr. Akio Ito)

「事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。
それ ゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、
信じる者を救おうと定められ たのです。」(Iコリ 1:21)
Terminal Band

The old is gone:

全 く灯りがなくて暗い、長いトンネルの行き止まりをたった一人で歩いている様子を想像して ください。外の自由な空気を吸いたいと爪で壁を引っ掻いて、無駄な努力を弱々しく始めかね ません。正しくないかもしれないが、果てしない欲望で息が詰まりそう・・・内なる欲望は満 足しない・・・そんな欲望の大海原で溺れて死にそうになります。唯一の望みは、神様が私た ちの視界を遮ってご自身を見せてくださることです。そうしないと私たちの人生は破滅しかね ません。私の人生もそうでした!

この文章は、私 のことではなく、永遠の滅びから私を救い出して下さり復活の力によって私 に新しいいのちを下さったイエス様のことであります。祖母が、私たち孫のために聖書を読ん でくれた日々を思い出します。祖母は家族で祈るときを毎日のように導いてくれました。厳し く乾いた、でも預言者的で鋭い声で、熱心に情熱をこめて聖書を語る祖母でした。祖母の話し 方は余りにも権威主義的で、当時の私には愚かに馬鹿らしく思われました。聞いていて不安を 覚えて落ち着かなかったものでした。祖母が立ち上がって聖書の言葉を語るとき、その単純な メッセージは私に「律法の要求」を行うように迫り私の良心は咎められました。祖母の尊大な 考えと感覚は、若い私の不従順な生き方とは相容れることができなく、私自身はどうしようも なく絶望的なことを思い知らされました。いつも私は素っ気なく不躾に、しかも反抗的な態度 でいました。祖母を小馬鹿にして、後ろ手で戸を閉めて、こっそり家を抜け出したものでした。 こういう日々は暫く続き、ほとんど習慣となりました。自分の家族は、ある種の神秘的な宗教 的考えに支配されていると私は思っていました。生まれながらの自然のままの人間は霊的な真 理を理解することができません。「それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟るこ とができません。」(コリント人への手紙第一 2 章 14 節)

十代になって、私は面白いと思うものに手を出し始めました。アコースティック・ギターは 8 歳で始めました。心の奥底で孤独を感じて「仲の良い友人」を探し始めました。無駄に人生を 浪費するような輩と付き合い始めました。私たちの若い年頃の偉大な可能性は墓の下に埋めら れて見出されることはありませんでした。「仲の良い」友人たちは、私の人生に多大な影響を与 えました。私の人生に衝撃を与えた歌は、オジー・オズボーンの“Suicide Solution”、ジュダス・ プリーストの『ペインキラー』、アイアン・メイデンの“666-Number of The Beast”などでした。枚 挙に暇がありません。到頭 1986 年 1 月 13 日にオッジー・オズボーンは、ジョン・マッコラム の両親に訴えられて、法廷に出廷しました。彼らの鬱であった十代の息子が、“Suicide Solution” を聞きながら、ピストルで頭を撃ち抜いて自殺したからでした。一つのことは確かでした!バン ドも歌もクールである筈だということです。夢が粉々に砕かれ、家庭が崩壊し、夢も希望も 愛も失ったとしても、“Suicide Solution”は耳に心地よく響きました。『ペインキラー(鎮痛剤)』 を探すという考えは魅力的でした。視界を遮る神がいなければ、“666-Number of The Beast”も奇 妙に魅力的に響くものです。言ってみれば、現代文化にどっぷり浸かって私の人生は形作られ、 若者として成長しました。その結果、私は次第次第に、タバコと麻薬とアルコールに支配され るようになりました。

Alone with Jesus!

世の中すべ てのものは最初は小さいものから始まります。大きな働きも小さな働きから始ま ります。小さな国も大きく発展します。小さなパン種もパン全体を膨らませます(ガラテヤ人 への手紙 5 章 9 節)。私に「自由」を与えてくれると思った麻薬とロックもそうでした。満足し 切れない欲望を満足させたい生活に私は徐々に追いやられて行きました。とりあえず、音楽の 賜物を隠れ蓑にしましたが、たいした避難所にはなりませんでした。私たちのバンドが賞を勝 ち取っていくにつれて、同じ世代の多くのバンドと拘わるようになりました。例えば、ブラッ ク・ジュヴェナイルズ、ジョイのサボターズ、ターミナル、スーパー・グルズなどです。『ロッ ク・ストリート・ジャーナル』などの人気ある音楽雑誌の表紙を飾るようになりました。人気 と金銭で目がくらんだ罪深い私は、もはや現実を直視することができなくなりました。人々が ステージ上の自分をギターのグル(尊師)と崇拝している(本当は、私ではなく、イエスを崇 拝すべきなのに)と錯覚に陥りました。何千もの人々が、宇宙の中心の「私」を崇拝している、 と。でも、そんなパーティーは、いつまでも続く訳がありません。パーティーに興じれば興じ るほど、私の内側はさらに空しくなり、結局もっともっと欲しくなる、と同じことの繰り返し でした。致命的な悪循環です。ロックのショーは数時間続いて、その間は一時的な喜びと平安 を覚えましたが、真の意味での「幸福」は、私の人生の語彙にも、辞書にも見当たりませんで した。ソロモンも(その辺にいれば)すべては「空の空。」と同意します(伝道者の書 1 章 2 節)。 C.S. ル イスが「海での休暇を提供されても、それがどういうものか想像ができないので、スラ ム街で泥パイを作り続ける小さな子供」と描写した上の空状態でした。一日に一時間と幸せを 感じたことがありませんでした。感情的不安定が忍び寄って来ました。もはや、このままの生 活を続けることができなくなるところまで行き詰まりました。そこで、自分の霊的な破産に気 づき、悔い改めることが必要であることを思い知らされました。「砕かれた、悔いた心。」神 「は、それをさげすまれません」(詩篇 51 篇 17 節)

ア ダムとエバは神様がくださった栄光を失ったとき(ローマ人への手紙3章28節)、「彼らは 自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分た ちの腰のおおいを作った。」(創世記 3 章 7 節)私たちは罪深いので、その罪深さを覆い隠さ なければならないので、人はいつも覆いを探します。私にとっては、エレキギターであり、ミ ュージシャンとしての生活でした。「すべて音楽の目指すところ、究極の目的は、神の栄光と魂 を憩わせることに他ならない。」(J.S. バッハ)しかし、現実には、音楽をする者たちが自 分たちに栄光を帰することが常であります。それで、自分自身が礼拝と崇拝の中心である以上 (1995年のリバイバルの際にキリストが力強く私の生活に入り込んで来るまでは)、私の心の中 の空洞が満たされることはありませんでした。私にとってイエス様と共に歩む人生が明確に形 作られ始めたのは、2002 年にハーベスト聖書訓練センターに入る頃でありました。もはや以前 の自分ではなくなりました。イエス・キリストの復活がリアルになり、神のみことが「私の足 のともしび、私の道の光」(詩篇 119 篇 105 節)となりました。

聖霊は、祖母がず~っと正しかったことを私に示し始めました。祖母ならば、コリント人へ の手紙第一 1 章 18 節「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける 私たちには、神の力です。」を読んだことでしょう。「愚かなメッセージ」のお陰で、私の生活 は芯から賢く変えられました。嘗ては愚かに思われたものが、今や「キリスト」「神の力、神 の知恵」(コリント人への手紙第一 1 章 24 節)となりました。私の耳に以前は実に「愚かに」 響いた「十字架のメッセージ」が、人生を大きく変える「神の力」となりました。福音は、「信 じるすべての人にとって、救いを得させる神の力」(ローマ人への手紙 1 章 16 節)であります。 私たちの自己の義は「不潔な着物」(イザヤ書 64 章 6 節)でしかありませんが、「神の義」が 福音に啓示されています。

私は、音楽の才能を用いて、すごいだれか (a great somebody)になることを夢見ていまし たが、神は、私が名もないしようもない存在でしかないことを示されました。どんな人をも救 う偉大な方 (Great Somebody)御子イエス・キリストをすべての人に語るように、私を愛する 神は召してくださいました。福音は「信じるすべての人」のものです。神の力です!2004 年 9 月に私が日本に来たのは。この福音のためでした。(どうして日本なのか、お尋ねになるでしょ うか)

サタンは福音も恵みの証しも大嫌いで す。教会の指導者たちは、人々(そして、悪霊のよう な訴える者たち)がメッセージ全体をしっかりと聞くように気を配ります。たびたび奇跡的な 変化も起こりますが、回心した途端にすべての試みが消えて無くなる訳ではありません。罪の ない私たちの主でおられるキリストでさえ、試みられました(ルカ福音書 4 章 1 節~13 節)。で すから、キリスト者も生涯を通じて様々な形で誘惑され、試みられます。しかし、キリストに ある神の主権的恵みは、勝利して、私たちが「御霊によって歩」むことができるようにして下 さいます。

こういうわけで、私たちは、主を恐れることを知っているので、人々を説得しようとするので す。私たちのことは、神の御前に明らかです。しかし、あなたがたの良心にも明らかになるこ とが、私の望みです。私たちはまたも自分自身をあなたがたに推薦しようとするのではありませ ん。ただ、私たちのことを誇る機会をあなたがたに与えて、心においてではなく、うわべの ことで誇る人たちに答えることができるようにさせたいのです。もし私たちが気が狂っている とすれば、それはただ神のためであり、もし正気であるとすれば、それはただあなたがたのた めです。というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えま した。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。また、キリ ストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、 自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。ですから、私たちは今後、 人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとし ても、今はもうそのような知り方はしません。だれでもキリストのうちにあるなら、その人は 新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。これらの ことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、 また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この 世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだ ねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを 通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。 神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。そ れは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(コリント人への手紙第二5章11節 ~21節)

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2 comments on “ジョーイゾリナの証

  1. […] connect to Christ.  I was a sinner, lost and equally helpless in those days! (read my testimony- Japanese/english).  Our connection was beneficial in a earthly sense.  In every way, his efforts far […]

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